安野光雅さんと絵本「イギリスの村」

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イギリスへの憧れを開いた美しい絵本
画家の安野光雅さんが94歳で亡くなられた。
その報を知り、実家から持ってきたばかりの古い絵本を取り出す。1982年発行とある。(安野光雅「イギリスの村」朝日新聞社出版局 1982年7月発行)
グレーや茶色を基調にした、しかし決して暗くはない色調に、濃淡や筆圧の強弱で動きをつけた黒い線で描かれた美しいイギリスの風景。「イギリスの村」というタイトルが、街並みの上にピンクがかったグレイで表現された曇り空の真ん中に鎮座して、シンプルでなんともお洒落な雰囲気を醸し出している。
母が買っていたこの絵本を初めて見たのは高校生くらいの頃か。
世の中にこんな素敵な世界があるのか、と驚いた。ページをめくるたび、美しいイギリスの村、丘や草原、湖、羊、たくさんの風景画、独特のタッチの水彩画で現れる。夢のような世界観と、弱々しく見えながらも強い意思を感じる黒い線に滲む決して派手ではない絵具の色。まだ見ぬ「イギリス」という国に、強く憧れた。
しばらく後になるが、20代で初めての語学留学、そして30代で小さかった子供をつれて渡英した歯科大学院留学。その滞在でますますイギリスが好きになり、子供が大きくなったらまた住んでみたいという思いが離れず、40代でイギリスの歯科医師免許取得にも挑んだ。
すべての源は、この「イギリスの村」の静かで、しかしとても雄弁な水彩画の数々を載せたこの本にあったような気がして、先日実家の整理に帰った際、大切に持ち帰ってきたばかり。安野さんの訃報に、この本は、永遠の宝物になったなーとしみじみ思った。
(写真はAMAZON ホームページより)
安野光雅と旅と絵本
私にとっては、多大なインパクトを受けた「イギリスの村」の作者という認識しかなかったが、安野光雅さんという方は、本当に多才な方のようだ。教師としての経験をもとにたくさんの教科書の挿絵や子供用の勉強用の絵本、子供向けの絵本制作や様々な分野の執筆を1960年代から本当にたくさん制作している。
1970年代には、「旅の絵本」シリーズ(福音館書店)が始まる。とても細かい筆遣いで、文はなく絵ばかりの絵本だ(写真:福音館書店ホームページより)。前述の「イギリスの村」の絵に比べると、輪郭がはっきりとしていて、繊細で細かい描写が印象的。まだ見ぬ世界の街に初めて出会う子供向けの本であることから、余白や優しい線をうまく利用して観る人の想像力を掻き立てる「イギリスの村」の絵の雰囲気とは一線を画すのだろう。私の好みとしては、断然「イギリスの村」の勝ち。高校生のときに出会った本が「旅の絵本 イギリス編」の方であったなら、その後の私とイギリスとの距離も、違っていたかもしれない。
宿を決めずに描いて回るのが僕のスタイル。宿を決めるとその日の行動に制約ができてしまうからね。欧州では東西南北どこを向いても描きたい風景に出合う。季節やお日さまの関係で、さまざまな表情を見せるんだ。(中國新聞デジタル「連載 生きて」より)
このスタイルで、「イギリスの村」はじめ、多くの世界や日本の旅絵本も作られたのだろう。86歳の時の上記のインタビュー時、8冊目の旅の絵本「日本編」を制作中で、さらにイタリアへのスケッチ旅行を終えたばかりだったという。一つ仕事を終えると、またやりたいことが湧いてくる。80代後半でこのような境地は羨ましい限り。
絵本の中のイギリスの村を訪ねてみる
嵐が丘の舞台「ホワース」の緑色の丘
久しぶりに絵本を広げる。目に入った1枚目は、エミリーブロンテとシャーロットブロンテの姉妹が書いた小説「嵐が丘」の舞台となったホワースの緑の丘と点在する可愛らしい家々。丘の上に、牧師の娘だった彼女たちの家、牧師館が博物館として公開されている。ここを訪ねたのは15年も前の留学中。子供たちがヒースの丘で戯れた。
季節がよく、ちょうどヒース(エリカ)の花がピンク色の絨毯のように咲き乱れているものの、風の強い荒涼とした大地に、負けるものかと低く低く根を張った灌木はあまりに強く硬く、可憐な花とは対照的なその根元に畏怖の念を覚えたものだ。安野さんも次のようにヒースを語っている。
見かけは草だが、実は極小の灌木である。根が丈夫で、その強靭なことと言ったらブルドーザーだって寄せ付けないだろう。(イギリスの村)
カンタベリー大聖堂の門前町
2枚目は、ロンドンの南東カンタベリーの街。ヘンリー2世の理不尽な施政に毅然とした態度をとり続け、最後は王の刺客の前に倒れたカンタベリー大司教トマス・ア・ベケット。後に殉教したとして聖者に列せられ、以後カンタベリーへ巡礼にくる人々は後をたたない。
「カンタベリー物語」は、14世紀の昔、これから巡礼に向かうためロンドンの宿に集まった身分も職業も違う巡礼者29人が、これからの長い旅の退屈しのぎにそれぞれが知っている話(猥談など)を次々に披露するという詩人チョーサーの傑作。粉屋、バースの女房などの話し手が登場するが、残念ながらチョーサーの死によって、29人全ての物語を網羅することはなかった。
やはり小さかった子供たちと訪れた留学中の2005年には、この物語を再現したアトラクション「カンタベリーテールズ」があって、蝋人形で作られた登場人物が次々に物語を披露する、という巡礼体験ができたのだが、調べてみると現在は閉鎖されてしまっているらしい。時は確実に流れたが、街並みは変わっていないに違いない。
ピカデリーサーカス
最後は、「村」ではないが、まさに大都会ロンドンの、しかも中心中の中心と言える「ピカデリーサーカス」。劇場や美術館が多く集まる文化の中心的存在でもある。まさに昔からロンドンの「映え」ロケーションで、多くの観光客がこの真ん中の塔に思い思いに座り、写真をとっているというロンドンのアイコニックなスポット。
ここから近いナショナルギャラリー(今では、先日東京で行われた展覧会でも「ロンドンナショナルギャラリー展」と言っているのに、この絵本ではわざわざ「国立絵画館」と訳しているのに、当時のイギリスの遠さが窺える)が作者のお目当てだったようだ。
見知らぬ街へ行き、もしそこに美術館や博物館があったら、時間の許す限り入ってみるというのが私の主義である。(中略)通り過ぎた風景はいつしか忘れてしまうのに、美術館で見た作品は、忘れていた親を思い出すように、必ず記憶の中にかえってくるのである。(イギリスの村より)
安野光雅の世界に会える美術館
安野光雅美術館
安野光雅さんのふるさと、島根県の津和野町は、いつか行ってみたい町。あの水彩画の世界は、この町の手つかずの素朴な自然や、昔ながらの人々の営みの風景が原点になっているのは間違いない。(写真は安野光雅美術館ホームページより)
和久傳ノ森 森の中の家 安野光雅館
京都の京丹後市にも、安野光雅さんの絵に触れられる素敵な美術館があるらしい。和久傳ノ森とは、元老舗の料理旅館があった土地に、丹後の食材を使った食材工房建設、植樹による森づくりなどを進めてきたプロジェクトにより誕生した食、自然、アートが融合したお洒落で広大な一帯。安藤忠雄さんが設計したというこの美術館も、その森の中にひっそりと佇んでいるそうだ。(写真は京丹後市観光公社ホームページより)
いつかまた。絵本の中のイギリスへ
画家安野光雅さんの訃報に触れたことで、久しぶりに大好きな絵本を手に取り、じっくりと中の絵や文章に触れることができた。見れば見るほど、心が暖かくなる絵本。実際に暮らしてみたイギリスは、もちろん、あんな綺麗なところばかりではない。
ロンドンの道や駅の構内は汚れ、カフェの店員は意地悪。冬のトイレは悲鳴が上がるほど冷たい。ちょっとロンドンの郊外に行けば、薄汚れたビルや、黒く煙った壁、擦り切れたポスターや、落書きと区別がつかない低質なグラフィティ。
日本の清潔さや礼儀正しさが懐かしくて仕方なかった。それなのに、なぜかまた行きたくなる国、イギリス。私にとってイギリスは、やはりあの絵本の中の風景のままなのだ。次に訪ねられる日が来たら、「イギリスの村」を持って、おそらくあの絵が描かれてからちっとも変わっていない風景をを見つけに、出かけよう。