第19回 歯科医師夫婦のつれづれ手帖〜今を大切に生きる

歯科医師夫婦のつれづれ手帖は、歯科医院を共に営む夫(真面目なのでここではマジオ君)とともに、医院を訪れる患者さんに自分たちの人となりを知ってもらいたいという気持ちから、2014年から書き始めた小さな文章。
なんだかんだで続いています。
ルールは2つだけ。
1 必ず毎月、どちらかが書く。
2 内容は、歯科治療以外の事とする。

歯科医師夫婦のつれづれ手帖 Vol 19
~今を大切に生きる〜

新年最初の内容としてふさわしくないかもしれないが、あえて書きたいと思う。昨年晩秋に、お世話になっていた税理士さんが亡くなった。開業準備中に先輩歯科医師から紹介され、お会いしたのが7年ほど前になる。彼は大きな体で、満面の笑みをたたえて私たち夫婦の前に現れた。我々が開業を前にした不安を相談すると、真剣に耳を傾け、専門家の立場から丁寧にアドバイスをしてくれた。その笑顔、穏やかな話し方に癒され、帰る頃には不安が減少し期待に胸が膨らんでいた。開業後も度々医院を訪れては、変わらぬ笑顔で「いいですね~。この調子で、ご夫婦で力を合わせて頑張ってください!」と励ましてくださった。

昨春お会いし驚いた。満面の笑みに変わりはなかったが、大きな体はだいぶ小さくなっていた。「ちょっと病気になったもので…」とのことだったが、数か月後に訃報に接することになるとは…。あまりに早い旅立ちであった。

さらに驚かされたことがある。15年も前から誕生日に自分宛の弔辞を書いていた(付け足しや修正を加えていた)とのこと。葬儀の参列者に送られたその弔辞には、幼少時からの彼の足跡がしるされており、二十数ページに及ぶ大自叙伝であった。また、自分の生き方や理念、心がけについても書かれており、つねに自分に向き合い、その時その時を大切に、懸命に生きてきたことが伝わってくる。毎年弔辞に修正を加えることで、自分の成したことと出来なかったことを確認し、新たな自分の目標を明らかにしていたものと思われる。

彼のように自分に厳しく、人にやさしくすることはなかなかに難しい。凡人なりに出来ることを懸命に行い、今を大切に生きることを誓った新春である。感謝。 ( 文: まじお)

回想版:「感謝」の顧問税理士さん

上記の文の「感謝。」とは、文中の顧問税理士さんがよく文章の最後に書いていた言葉。その言葉通り、いつもニコニコと笑顔で、全てに感謝の気持ちを持った方だったのだろう。

私も、初めてお会いした日のことはよく覚えている。

県立病院の口腔外科の科長として、「公務員」の地位を得られる歯科医師はそんなに多くない。幸運な人との出会いがあり、やりたかった病院歯科で、トップの科長として過ごすことができていたマジオ先生。しかしそれと同時に、歯科医師となったからには、小さくとも自分の医院を持ち、自分のやりたい歯科医療をしてみたい、という気持ちも、ずっと抱えていた。病院歯科に勤めて10年近くを経て、40歳も過ぎ、地盤も看板も、カバン(資金)もない身ながら、開業したいという気持ちを胸に相談したのが、前述の税理士さんだった。

小さな街なのに歯科大学があり、歯科医院が乱立する激戦区盛岡での開業は、親の援助など一つもなかった私たちには不安があり、当時マジオ先生は、県立中央病院での診療を続けながら(最低限の生活費の糧を得ながら)開業するという道を模索していた。

そんなマジオ先生に、税理士先生はピシャリといった。

「本気でいい医院を作りたいと思うなら、退路を絶ってやりなさい」

今でもあの時のことははっきりと思い出す。「この、鬼!!」と思った。。。。

しかし、二兎を追うもの一兎をも得ず。そのことを一番よくわかっていたのは、裸一貫で立派な税理士事務所を立ち上げたあの先生自身だったのだろう。あのあと、スッパリと退路を断ち、古いマンションの1階を借りて開業して早11年もの月日が流れた。税理士先生とは出会ってから12年、お別れしてから5年もの月日がたった。改めて今、感謝。

 

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