第25回 歯科医師夫婦のつれづれ手帖〜くやしい思いを胸に

歯科医師夫婦のつれづれ手帖は、歯科医院を共に営む夫(真面目なのでここではマジオ君)とともに、医院を訪れる患者さんに自分たちの人となりを知ってもらいたいという気持ちから、2014年から書き始めた小さな文章。
なんだかんだで続いています。
ルールは2つだけ。
1 必ず毎月、どちらかが書く。
2 内容は、歯科治療以外の事とする。

歯科医師夫婦のつれづれ手帖 VOL 25 〜くやしい思いを胸に
(MDCニュースレター 2015年7月号より)

「第61回全国高等学校軟式野球選手権岩手大会」での初戦敗戦をもって、高3の長男は部活動を引退することになった。新人戦では準優勝し今回はその上を目指していたので、思いのほかあっけない終わり方に、私も力が抜けてしまった。

 彼は小3で野球を始めた。アメリカ発祥のリトルリーグは硬球を使用し、活動期間は中1の8月までである。パワーは無いが、バントや走塁、守備は上手だった。しかし、中1頃身体成長の個人差は大きく、身長が140cmに満たない彼は、傍から見ていると大人と勝負しているようだった。パワーで圧倒され、何度となく悔しい思いをしたと思われる。そのせいだろうか、中学の部活はソフトテニスを選択し、リトルリーガーの多くが進むシニアリーグにも行かず野球を辞めた。

 高校でもテニスを続けると思っていたのだが、「また野球をやる。」と言うではないか。進学した高校には軟式野球部があり、あまり厳しすぎないのも魅力だったのかもしれない(笑)。先輩や仲間にも恵まれ、昔より楽しそうに野球をしていた。

 高1秋の新人戦から試合に出してもらえるようになり、私も観戦するのがさらに楽しみになった。彼が初めて出た公式戦をみて、感動したのを覚えている。走者がいる際に二塁手の彼は、捕手が投手に返球するのにあわせて投手の後ろにカバーに走っていた。万が一返球がそれた時に、走者が次塁に進めないようにするためだ。リトルリーグ時代に繰り返し指導されたことが身についており、地道だが大切なことを当たり前のようにやっているのに驚いた。また、家では寝てばかりで精彩がないのだが、先輩にも大声で位置取りの指示まで出しているではないか。

 先日、日米通算安打数でピート ローズ氏の大リーグ記録を抜いたイチロー選手は、「悔しさが挑戦の原点」と話していた。息子もリトルリーグ時代の悔しさが、野球への再挑戦のもとになったのかもしれない。今回の敗戦でも、さぞや悔しい思いをしただろう。敗戦そのものより、もしかするとその準備の過程に。その悔しい思いを胸にしっかりと刻み、次の目標に向かって悔いのない準備をしてほしいと願う。

 敗戦した夜に、「リトル時代がらいっぱい楽しませてもらった。ありがとう。」言うと、彼ははにかんだ表情でビールを注いでくれた。(2015年MDCニュースレター7月号より マジオ文)

関連記事