おんな3代 命の旅 〜第135回 歯科医師夫婦のつれづれ手帖〜
「歯科医師夫婦のつれづれ手帖」は、2010年から歯科医院を営む夫婦が、医院を訪れる患者さんに自分たちの人となりを知ってもらいたいという気持ちから、2014年より院内新聞の一角に書き始めた小さな文章。なんだかんだ言ってもう11年、続いています。
ルールは2つだけ。
ルール1 必ず毎月、どちらかが書く
ルール2 内容は、歯科治療以外のこととする(時々ルール違反あり)
第135回 おんな3代 命の旅
私の母も84歳になりました。
世間で言うと、まだまだ元気に活躍している方も多い年齢ではありますが、残念ながら若い頃から病気がちだった母は、高齢になってからも大きな病を得て、最近になりとうとう余命を考えなければならない時期になりました。
歩くのもままならなくなり、とうとう施設のお世話になることになったのがつい最近のこと。「秋田の白岩焼き(陶芸)見にいきてえなあ」という母の一言に、入所前に、故郷の秋田に1泊でもいいから旅行に行けないか、と言う話になりました。 しかし、動くのも座っているのも大変な母を連れてどうやって?
聞けば今は、看護士さんなどの医療のプロが旅に同行して、「親の最後の願い」を叶えてあげるサービスもあるとか。費用はすごくかかるらしいけれど、それで安全に旅行ができるのならそれでも・・・と思った矢先。
ん?待てよ。 ・・・いるじゃないの、いい相棒が!
そう、我が娘です。そういえば、小さい頃、「おんな3代」で何度か旅行に行ったことがありました。あれを、再現しようじゃないの!
車があって、介助者が二人いれば、なんとかなるんじゃないか、と思いました。
というわけで、娘の予定に合わせて、3世代の女3人、母をなんとか車に乗せて(後部座席に寝ていました)、1泊2日の旅を決行することになりました。
旅の計画は、秋田で長年英語教師として働いていた母が、やりがいのある仕事に精を出し、一番輝いていたであろう頃によく訪ねていた田沢湖、玉川温泉、そして角館町からさらに奥に入った、上品な陶芸で有名な白岩地域。
田沢湖駅前の食堂で稲庭うどんを食べ、その日の宿「新玉川温泉」では、車椅子を借りて秋田料理を楽しみ、不自由なく過ごすことができました。
次の日はいよいよ角館へ。

体調が悪ければ帰る予定でしたが、思い切って角館まで。現役時代、本当にイキイキと働いていた「角館中学校」を覗き、なつかしい校門へのすずかけの道を通り、武家屋敷通りへ。
後ろで寝ていた母がその時ばかりは起き上がり、街中をしっかり見ておりました。お目当ての白岩焼き窯元「和兵衛窯」は、なんと残念ながら臨時休業。それでも、庭の佇まいを楽しみ、「またリベンジしよう」と次への目標も。
女3代、秋田への旅。母、娘、そして神様へ。大きな感謝の旅となりました。 (文 松浦直美)

追記:
このおんな3代の旅行を決行した1ヶ月後、母が亡くなりました。心から愛した3人の孫に囲まれて、穏やかに、幸せに旅立って行きました。
転職だった教師の仕事を定年前にやめ、私の3人の子供達を立派に育てるのに、まさに無償の、惜しみないサポートをしてくれました。
歯科医師になれたこと、英国留学、そして開業。母の助けがなければ、どれもできなかったことです。
また会える日まで、こころから、感謝をし続けます。






















