「母は強し」は夢まぼろし 〜第93回 歯科医師夫婦のつれづれ手帖〜

歯科医師夫婦のつれづれ手帖は、2010年から歯科医院を営む夫婦が、医院を訪れる患者さんに自分たちの人となりを知ってもらいたいという気持ちから、2014年から院内新聞の一角に書き始めた小さな文章。
なんだかんだで続いています。
ルールは2つだけ。
1 必ず毎月、どちらかが書く。
2 内容は、歯科治療以外の事とする。(時々ルール違反あり)

第94回 「母は強し」は夢まぼろし

我が家の末っ子が、高校受験を終え、県外の高校で寮生活を始めることになった。

まだ先と思っていた末息子の予定外に早い門出に、年末から一生懸命心の準備を続けていた私も、息子が家を出たあと初めて行ったスーパーでは、彼の好物が目について涙が止まらなくなるという失態を演じてしまった。

小さな段ボール半分の荷物をもって、さらりと入寮したように見えた息子はといえば、実家が恋しいというよりは、 大好きなゲームも、携帯電話も、パソコンも持ち込み禁止、外への連絡は寮にある公衆電話か手紙、という昭和時代のような寮生活に早くも音をあげている様子が、電話を通した声からうかがえる。

こんな情けない母子の話のあとにはあまりにも崇高な話で恐縮だが、こんな日々が始まって、朝礼でスタッフと一緒に読んでいる冊子にあった初代総理大臣伊藤博文の幼い頃の逸話を思い出している。

少年時代、武家に奉公していた博文は、奉公先の用事で実家の近くに来た際、寒さに耐えかねて実家に立ち寄った。しかしその時母は、主人に了解を得ずに実家に寄ったことを知ると、「仕事中に無断で帰ることは許しません」と追い返してしまった。現在史跡になっている伊藤博文の旧宅には、その時母親が、実家を振り返りながら雪の中帰っていく息子を、涙ながらに見送っていたという小窓が「見返りの窓」として残されているそうだ。

伊藤博文の旧宅(萩市観光ホームページより)

いつの時代も、親の気持ちは変わらない。昨今は辛いことはあまり我慢させず、という風潮もあるが、昭和に育った私としては、「あえて快適な実家を離れた子供達は、連休までを乗り切れば、少しずつたくましく変わってきます」という寮の先生の言葉を信じ、戸惑いながらも奮闘する息子を見守ろうと思う。もちろん伊藤博文の母君には遠く及ばず、連休には帰ってくるというのに、お菓子を送ったり電話したり。親も、逞しく成長するのは連休後のことか、はたまた1年後か、いや、生涯かかるのかもしれない。 (2022年 5月号 MDCニュースレターより)

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