たぶん私もダメなやつだから・・・ 第101回 歯科医師夫婦のつれづれ手帖

歯科医師夫婦のつれづれ手帖は、2010年から歯科医院を営む夫婦が、医院を訪れる患者さんに自分たちの人となりを知ってもらいたいという気持ちから、2014年より院内新聞の一角に書き始めた小さな文章。
なんだかんだで続いています。
ルールは2つだけ。
1 かならず毎月、どちらかが書く
2 内容は、歯科治療以外のこととする

皆様新年おめでとうございます。
前回100回を数えたこの「つれづれ手帖」。2023年の新年を迎えて、まだまだ続きます。

どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。

第101回 多分私も駄目な奴だから・・・

落語を聞くのが好きだ。落語は江戸時代に生まれ現代に続く大衆文化。江戸時代には天災や火事が多かったことを考えると、過酷な環境下で生き抜くのに、少しでも楽しく笑いながら過ごすために、落語という娯楽が受け入れられたのかもしれない。

受け継がれている噺は、完成度が高く普遍性があり、時代を超えても受け入れられる力を持っているのだと思う。

落語は滑稽なものだけでなく、人情噺や怪談噺などもあるが、噺の登場人物には憎めない者が多い。落語家の卓越した話術や仕草により、人物に命が吹き込まれ、いきいきと我々の心に入り込んでくる。特にも「枕」の上手な噺家は、観客の反応を見ながら、「本題」のバックボーンである時代背景や「オチ」への伏線をさりげなく織り込み、噺の世界へ我々を引きずり込む。

「なぜ落語の登場人物は、憎めない者が多いのか?」。これに対する答えの参考になる文が、立川談春さんの著書「赤めだか」の中にある。談春さんが中学生のころ、学校の催しで寄席を訪ねた際に、立川談志さんが四十七士の討ち入りを引用して語ったという。

「赤穂藩には家来が300人近くいたんだ。その中から47人しか敵討ちに行かなかった。残りの253人は逃げちゃたんだ。逃げた奴らはどんなに悪く言われたか考えてごらん。落語はね、この逃げちゃった奴らが主人公なんだ。駄目な奴を認め、業(理性ではどうすることも出来ない心の動き)を肯定するのが落語だよ。」と。

談春さんは、のちに談志さんに弟子入りし噺家となった。談志さんは毒舌で知られ、その言動から「異端児」「反逆児」と言われることもあったが、落語を、駄目な奴を、人間を、心から愛していた方なのではないだろうか。

私も、その時赤穂藩の家来であったなら、たぶん逃げちゃった253人の1名になっていたに違いない。だから、落語に共鳴するのかもしれない。ついでに、私が落語が好きな理由がもう一つ。落語では、登場人物が人を殺したり、虐めたりというシーンが無い。世知辛い世の中、安心して笑ったり、涙を流したり出来る落語を、みなさんも楽しんでみてはいかがだろう。 

(文: 松浦 政彦 MDCニュースレター2023年1月号より)

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