困る前の神頼み 〜第80回 歯科医師夫婦のつれづれ手帖

歯科医師夫婦のつれづれ手帖は、歯科医院を共に営む夫(真面目なのでここではマジオ君)とともに、医院を訪れる患者さんに自分たちの人となりを知ってもらいたいという気持ちから、2014年から書き始めた小さな文章。
なんだかんだで続いています。
ルールは2つだけ。
1 必ず毎月、どちらかが書く。
2 内容は、歯科治療以外の事とする。

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ベル

今月は、のあみの亡き父と、マジオ先生が意外なところで仲良くしているというお話です。

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のあみ

夫にも、子供たちにも会ったことのない父が、「おじいちゃん」と呼ばれて家族の心に住んでいる。早く亡くなったのは残念だけど、幸せなのかな。

第80回 歯科医師夫婦のつれづれ手帖
困る前の神頼み

 
長女が生まれ5か月ほどで、妻は仕事に復帰した。それを機会に、一人暮らしをしていた妻の母は、早期退職し同居することとなった。それ以降、母は孫の面倒をみて、家事も行い、我々が仕事を続けることを応援しサポートしてくれている。
 2004年に妻がUniversity College Londonの大学院へ子連れ留学した際は、母も一緒に渡英し妻の挑戦を応援したいと言った。かくして私は一人残され、逆単身赴任の身となった。それまで食事の準備は、ほとんど妻と母に任せきりであったが、毎朝簡単な朝食を用意し、仏壇の父に手を合わせるのが日課となる。当時私は、岩手県立中央病院の歯科口腔外科長に就任したばかりであった。それまでは、恩師である前科長の下で、のびのびと仕事させてもらっていた。科長になり、診療のみならず、院内外関係機関とのマネジメント等、様々な業務が加わった。ときには、仏壇の父に愚痴を言うことも…。妻が高校の頃に亡くなり面識はないのだが、妻に似た笑顔の写真を拝むと「しょうも無いな~。」と穏やかに聞いてくれているように感じた。また、難しい手術をする日などは、つつがなく終えることが出来る様、念入りにお願いをしたものだ。
 家族が帰国したのち仏壇の父に対面するのは、休日たまにコーヒーをあげる時ぐらい。それなのに、今でも何かあると「お父さん、お守りください…」とお願いする次第である。おそらくは「都合良く使いよって…」と、苦笑いしているに違いない。ただし、自分の中の礼儀として、お願いする前に自分が出来る準備は十分にするようにしている。やることもやらずにお願いだけするのは、あまりに虫が良すぎるし、かっこ良くないので。 (文 まじお)

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