100回記念座談会! 〜第100回 歯科医師夫婦のつれづれ手帖

歯科医師夫婦のつれづれ手帖は、2010年から歯科医院を営む夫婦が、医院を訪れる患者さんに自分たちの人となりを知ってもらいたいという気持ちから、2014年より院内新聞の一角に書き始めた小さな文章。
なんだかんだで続いています。
ルールは2つだけ。
1 かならず毎月、どちらかが書く
2 内容は、歯科治療以外のこととする

100回記念によせて

なんと、2014年6月から、月に一回患者さんに読んでいただきたいと書き続けてきた「歯科医師夫婦のつれづれ手帖」が、2022年12月号で第100回を迎えました。

2010年の開業から12年8ヶ月、つれづれ手帖を書き始めてからは8年以上の月日が流れたことになります。

屋根の工事を請け負う鈑金業の息子と、中学教師の娘が、マンション一階のスペースを借りて医院を開業。全くお金も人脈もなく、借金するのにも、大して価値もない実家を抵当に入れてのスタートでした。

NHKの連続テレビ小説では「げげげの女房」が放送されていて、お金のないあまり真っ黒になって安くなっていたバナナを夫婦二人で分け合うシーンは、身につまされたものです。

しかし、必死に頑張るということは、「なんとかなる」というもの。

今では多くの患者さんにいらしいていただける歯科医院に成長し、約1年後には、さらに理想の歯科医院を目指して、移転開業することになりました。「自分たちの人となりを知ってもらいたい」とずっと続けてきたこのちょっとした文章は、これからも、院内新聞の片隅に書き続けたいと思っています。

第100回 100回記念座談会

M (院長):つれづれ手帖もなんと100回。こんなふうに院内新聞 の一部になったのはここ数年で、それまではA5の 紙に印刷して、医院に置いて、持っていってもらっていましたね。

N (副院長):言い出しっぺは私。思いつきで、こんなのやったら患者さんに親しみを持ってもらえて、医院も流行るんじゃない?という下心もあって(笑)。実際、院長は中学校の時「人権コンクール」で最優秀賞を取ったくらい作文が上手いしね。

M:私は、第2回に書いた盛岡附属高校の甲子園の話が、OBをを中心に地味にフェイスブックでバスって、ちょっと嬉しかった のを覚えています(笑)。

N:そうでしたね〜。当時は、歯科医院で歯科の話じゃ、つまらないよな、と思い、「歯科以外のことを書く」というルールを決めました。結果、内容は家族のことや、旅行のこと、患者さんと会話の話などが多かったかな、と思います。

M:結局二人とも仕事人間なんで、月末が近づくと 「あれ?今月はどっちが書くんだ!?」と慌てる。 趣味も少ないんで、話題がない。

N:100回といえば8年4ヶ月。この間、ずっとこの繰り返しですよ。最近は、使えそうな話題を早めに意識することにしてますけどね。

M:子供はよくネタにしたね。特に末っ子は、開業の 時三歳だったから、いろんな院内パンフレットとか、 チラシに出したり、つれづれ手帖のネタにしたり、 使いまくったね(笑)。

N:今思えば、開業してから家族旅行などが減った分、「つれづれ手帖」がある意味家族アルバムみたいに思えることもありますね。

M:「つれづれ手帖」で特に印象に残っている記事はある?

N:一つを選ぶのは難しいですが、やはり、公私ともに大きな試練が来た、2019年の末に書いた第 64回「人生はにゃんとかなる!」ですね。
家族の病気と、忙しさゆえの院内のゴタゴタが一気にきて、打ちひしがれた時に、笑える「猫カレンダー」とスタッフに救われたという正直な気持ちを書きました。人間は強いものだと実感。

M:私は歯科医院を法人化できた時に書いた第22回「医療法人颯爽に込めた願い」。
「生徒諸君へ寄せる」という宮沢賢治の詩の中で 存在感を放つ「颯爽」というキーワードへの印象 と、それを法人名にした理由を結構真面目に書きましたからね(笑)。

N:短い文でも、毎月頑張って書いていたから、患者さんの反応も気になったよね。

M:熱心に読んでくれて、「いつも楽しみ」と毎回言ってくれていた患者さんが、転勤になった時は寂しかったですね。

N:ここみたいな歯医者、〇〇市にないですか?紹介して欲しい」とまじめに言われた時は、嬉しかったですね。紹介はできませんでしたけど。。

N:年配の患者さんなどは、毎回大切にファイルに挟んで保管している、などと言ってくれる方もいて、 涙が出そうになりました。

M:そんな患者さんに支えられて、当院は約1年後 に近隣(ユニバース青山店隣)への移転開業を計画しています。 これからも、つれづれ手帖は続いていく予定です。 とりあえず次の200回記念を目指します。これか らも、よろしくお願いいたします。

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